今回は前回に続き「ボサノヴァの歴史」の第2回目
前回はボサノヴァの源流、ショーロを取り上げました。
今回はボサノヴァを取り上げます。
ボサノヴァ=BOSSA NOVA
BOSSAとは「隆起、こぶ」
NOVAは「新しい」
ということで新興、新しい流れといった意味があります。
ボサノヴァが生まれたのは1950年代。1958年にアントニオ・カルロス・ジョビンによる「想いあふれて」のシングルレコードがボサノヴァの始まりという人が多い。
こちらが「想いあふれて」
ボサノヴァの誕生に関わった功労者の一人、ジョアンジルベルトは何日もバスルームに閉じこもってギターを鳴らし、それまでにないスタイルのギター奏法を発見したといわれます。
こちらがジョアンジルベルト
ボサノヴァがその後ポピュラーになったのにはいくつかの要因があります。
ブラジル・フランスの合作の「黒いオルフェ」という名の映画の中で多くのボサノヴァが使われました。
こちらはその黒いオルフェのシーンと主題歌の「黒いオルフェ」
後半2分前後からギターの弾き語りが聞こえますが、これはボサノヴァではないですね・・・・
1962年には、カーネギー・ホールでボサノヴァのコンサートが行われます。このときにはジョアン・ジルベルト、やセルジオ・メンデスなどが出演したようです。
そしてボサノヴァとジャズが出会ったのが1963年。ジョアン・ジルベルトとアメリカのジャズ・サックス奏者スタン・ゲッツがボサノヴァ・アルバム『ゲッツ/ジルベルト』で競演、アメリカで大ヒットします。そしてこの中でジョアンの(当時の)妻のアストラッド・ジルベルトが歌った「イパネマの娘」が驚異的な売り上げを記録し、ボサノヴァの知名度をさらに引き上げます。
このころからボサノヴァがジャズのミュージシャンに盛んに取り上げられるようになり、今のようなジャズとボサノヴァの関係になっていきます。
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面白いウンチクとしては「ビートルズがボサ・ノヴァを殺した」という言葉があります。
ボサ・ノヴァがアメリカで流行り始めたのが1962年、ビートルズの登場が1964年である。もしビートルズが出てこなかったらボサノヴァが世界中のポピュラー音楽の中心になっていたのではという推測からそんな言葉もうまれました。
またボサノバにおしゃれなイメージがあるのはおそらくボサノバにフランスの香りを感じるためかもしれません。元々ボサノバが世界で注目を浴び始めたのは1966年にフランス映画のクロード・ルルーシュ監督の作品「男と女」が上映されたからだと思います。
この「男と女」という曲は映画の主役を務めたピエール・バルーが歌い、ボサノバギターの神様「バーデン・パウエル」、作詞はこちらもボサノバの歌詞を数多く書いているヴィニシウス・モラレスが手がけています。曲調はボサノバとは少し違いますが、フランスとボサノバは親和性が高いように感じます。
日本でも20年ほど前からフレンチ・ポップスが入ってきてリズムやコード進行がボサノバに近く、おしゃれなイメージが定着しました。カヒミ・カリィが歌う曲はフレンチ・ポップスですが、ささやくような歌い方もボサノバと共通している面だと思います。
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